長い学生生活を終え、IT企業でSEをしてます。

業務以外の部分での会社での活動や社外でやっている活動、セミナー等に参加しての感想やレポート、思ったことや関心のあることを中心に綴っています。

色々な人に会っての気づき、感銘を受けた本、美術展や映画の感想等も不定期的に更新していく予定です。

コメントはお気軽にどうぞ。
ただし、承認制にしていますので、掲載まで時間がかかる場合もあります。悪しからず。
2012.08.13.Mon スポンサーサイト

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2012.04.01.Sun 2年目の誓い

 入社式で人事のトップに「元気がいいね!」と褒められてから早1年。明日には、会社に後輩というものが入ってくるらしいです。
1年最後の営業日に、先輩から言われた一言が案外重くて、その程度のことで指摘されるような自分の不甲斐なさに悔しさを覚えて、1年で何が成長できたのだろうと思っています。

4月はスポット的に今やってる仕事と少し違うところをやるようです。
主な作業はドキュメント作成で、いわば学生の時にわりとやってきたことなので、ここで少しはやるじゃんって思ってもらえる仕事をしたいものです。
傍らで、通常はメインなところのインプットも増やしていかないといけないですけど。

前回のエントリーで書いた先輩のアドバイスを活かす以前な状態を早く脱却して、2年目はやりたいことに自ら挑戦していく姿勢に切り替えないとなと思っています。
おそらく2ヶ月後くらいには同じ場所に後輩が入ってくるらしいので、その人が情報系出身であろうとも1年やってきたっていうのは違うなと思わせられるくらいにはなっていたいです。

社会人しながらも色々できることは分かった1年目でしたが、仕事もしっかりこなせるけど仕事じゃない部分も充実した生活を送ってる2年目を目指してがんばりたいと思います。


| 22:37 | comments(0) | Life |

2012.03.27.Tue 社会人1年目の終わりに

 昨日の飲み会も楽しかったし、またここに日を改めて書こうと思いますが、今日は1年目の最後にふさわしい飲み会があったのでそのことを。

情報系でも何でもない私がITという世界に飛び込み、2か月ちょっとの研修を終え、配属されたところでの仕事をずっとしていて、もうすぐ1年が終わろうとしています。

自分が望んで選んだ部署ではなかったけれど、たぶん自分が望んでたものより恵まれた環境があるなと今は思っています。その一番大きいところが、一緒に仕事をしている先輩。
その先輩と先輩の同期の方と、私の会社同期と私の大学院の同期と私の5人で飲んできました。

一緒に仕事をしてる先輩も、日頃から色々話をしてくださるのですが、その先輩と同期の方(仕事を通しては関わりないけど、以前から知ってる方です)が飲みながら話してくださったのがすごくいい話で、1年目の終わりまであと少し、2年目をどう過ごすべきかを示唆してくださった気がします。

「とりあえず仕事が来たら引き受けろ。そうやっていく中で、自分のキャパを広げていくしかない。ただ、頼んで逃げる人もいるから、引き受ける時は頼んだ人も巻き込むこと。」
「仕事を待ってるなんて、ナンセンス。やりたいことに挑戦して、自分で仕事を作っていくべき。ただし、報・連・相はしっかりすること。」

1年目の終わりに差し掛かって、ちょうど仕事も今落ち着いているタイミングで私自身はそこまで切羽詰まった状況にはいないのですが、まだまだ仕事をこなしていかないと成長できないなと思いました。
尊敬する先輩は2年目の頃、ガツガツ仕事してたらしく、その時にやってた仕事が今のメインに繋がってるそうです。勝負の年なのかもしれない、と思いました。

そして、その先輩に前々からよく、「何がやりたいの?」と聞かれていて正直、これ!って言えることもなく来ていたのですが、「いざとなったら、責任は自分が取るから。最初数年は色々やって失敗したらいい」と今日言われました。
自分で仕事を作り出して、やりたいことを見つけて行かないとなと思いました。たぶん、今以上に先輩に迷惑をかけることになるんだろうけど、それでも私が何かに挑戦していくほうがきっと先輩も報われるんだろうなと。

1年目、振り返ると甘えも結構あった気がしています。2年目では許されないようなことも色々と。でも、1年の終わりに、数年後のあるべき姿のような先輩たちの話を聞けて、本当に良かったです。

先輩たちのせっかくの話を活かすのは、私自身の行動だと思います。
もっと積極的に、失敗を恐れず取り組んでいく2年目にしたい。


| 01:01 | comments(0) | Life |

2011.12.29.Thu 2011年の私

 2011年は東日本大震災によって、日本自体が色々な困難に見舞われた反面、人への気遣いや優しさを改めて感じる年でもありました。

個人的な変化といえば、学生から社会人と社会的な身分が変わった変化の年でした。
震災の影響で修了式も修了パーティーもなく、研究室の先生のところに修了証を取りに行くだけの味気ない終わり方となってしまいましたが、社会人のスタートは入社式があったので一応の節目はありました。

ITという慣れない分野で、研修も分からない言葉が連日続いてあっという間の3か月の研修を終え、現場に配属されました。
そこから約半年間、日々分からないことを先輩方に教わりながら気づいたら年末になっていました。もう少し、仕事を効率よくできたら、覚えが早ければと自分の不甲斐なさに悔しい気持ちを持ったことは多々ありました。
もちろん仕事の規模としては、小さいところを切り出していただいている状況ではあるのですが、色々な経験はさせてもあって、契約書に作業者として名前を入れてもらったりとやりがいを感じさせてもらえました。

今の会社は縁だったのかなと思うことも色々あったり、一緒に仕事をしている人達にも恵まれて、本当に良い1年でした。
会社の先輩には「何をやりたい?」とか「うちの会社のイケてないとこはどこだと思う?」とたびたび聞かれることがありました。
「自分でどうキャリアを作っていきたいのか考えて、そのためにどういうことをしたいかは自分で言っていかないとダメだよ。」と言ってくれる人がたくさんいる環境、幸せだと思います。

仕事自体は、そこまで忙しくなく、平日の夜、土日は比較的時間もあったので、社会人ということに囚われず、新しいことに挑戦することもできました。

一つは、日中学生会議のOBOG組織再編の活動に中心的に関わっています。
後輩たちに誘われて、10月くらいから、再編のための戦略を考えるミーティングを開いて、12月にはKIckoffイベントを行いました。

ミス・ユニバース・ジャパンの一般向けにやっているBeauty Schoolにも通い始めました。
内面、外面へのアプローチ、またどう見せていくかということまでトータルに勉強しています。
セルフプロデュースという視点で、どう自分を見せていくかのヒントを集められればと思っています。

そして、業務外ですが社内での活動もしていました。
元々は10月の復興支援ボランティアの募集が社内であって、それに応募してその時に事務局の仕事も少しやらせていただいたという経緯があります。実際に10月最終週には岩手にボランティアに行ってきました。
12月後半に、一緒に活動していた方々のご尽力があり、この活動が社内公認の活動として継続されることになりました。

あとは、実際の活動はまだ始めてませんが、Room to ReadというNGOでのNews Letter作成等の編集ボランティアの活動を始めることもつい最近決まりました。

そんな感じで、仕事もプライベートもやりたいことを色々できる環境で本当に楽しい1年でした。来年もこんな感じで走っていければと思っています。


| 16:52 | comments(0) | Life |

2011.11.28.Mon アイランダー2011に行ってきました!

 私は18歳で大学進学のために東京に出てくるまで、山口県の瀬戸内に浮かぶ島で生まれ育ちました。
たぶん、田舎の時間の流れがしっかり染み込んでいることもあって、おっとりしてるところがあるんだと思います。

ここ数年、気になっていたアイランダー2011という、全国の島々が集まるイベントに今年ようやく行って来ました。色々な島の人たちがブースを設け、特産品の販売をしたり、伝統工芸の体験をできるようにしていたり、島の観光案内やイベントの案内をしているものです。

私が生まれ育った島もアイランダーに出ていることを、twitterでフォローしている大野圭司さんという方がつぶやかれていて、ずっと行ってみたいと思っていました。
(地元の地域活性化に取り組まれている大野さんに会ってみたいというのも理由の一つでした。)

私のいた島のブースでは、はちみつの販売をしていました。
私自身、はちみつと聞いてピンとこなかったのですが、これから名産品として育てていくようです。
味見をしましたが、みかんが有名な島で、みかんの花の咲く季節に採れたはちみつはみかんのいい香りがしてました。

試食を勧めてくれた方に「実はここの出身なんです。」という話をしたら、すごく親しみを持ってくださって、「来年は手伝いにいらっしゃい。こっち(ブースの中)のほうがきっと楽しいわよ」と言ってくださいました。
その方自身は、私の島に住んでいたことはないそうで、お父様がそこの出身であること、そしてその方がフラをやられていて、私の島は昔たくさんハワイに移民した人がいて、その関係もあってハワイと姉妹都市なのでフラがそこそこ盛んで、そのつながりで今、島とつながっているそうです。

その人が、別のフロアでニッポン全国物産展をやっていて、そこにも商品を出していることを教えてくださったので、そっちにも足を運びました。

そこで念願の大野さんにもお会いできました。
島スタイルというサイトを運営されて、全国に発信しながら色々なことに地元で取り組んでいらっしゃる方です。
若者は出ていって高齢者が相対的に増えていく状態のいわゆる過疎化が進んでいるはずなのに、最近結構あの島ががんばっている様子が東京のほうにも伝わっています。
地元の人たちからも色々様子が変わっている話を聞いたりしても、ちょっとずつ魅力的なところになっているような雰囲気が伝わってきます。

過疎化という言葉を目の当たりにして育った私にとって、地域活性化というのも私のライフワークに関わるキーワードの一つです。
それだけにすごく興味があって、お話は少ししかできなかったのですが、来年関わりたいって話をしたら喜んでくださって、名刺交換もしてきました。
たぶん、来年は私の島に関わるどこかのブースにいる予定です。
こういう形で、自分の故郷に関われるとは思ってなかったので、うれしいなと思いました。

余談ですが、物産展には岩手も出展していたので行ってきました。
そうしたら、また来ていたところが遠野で、「被災地ボランティアで遠野まごころねっとにお世話になったんです」という話をしたら、そこの手伝いをしてた方もどうやらボランティアで遠野に行ってその縁で手伝っているとのことでした。
そして、遠野ふるさと村という里山体験の施設の村長の鈴木さんという女性を紹介してもらいました。
そこは目的としては里山の暮らしを体験する施設らしいのですが、ボランティアが多い時期泊る場所がない団体のために、ここにある施設を宿泊施設として貸し出していたそうです。
その方に「本当にありがとう」と言われ、遠野の人たちの温かい優しさを思い出しました。

人っていいなと思えた一日でした。
またこの縁を大切に、何かにつなげられたらいいなと思いました。


| 23:58 | comments(0) | Life |

2011.06.27.Mon フランス政府「農事功労勲章」受勲の著名料理評論家が語るミシュランガイドの企業戦略

 大学院の先輩の紹介で行ったSTRAMDの特別講義についてご紹介します。

ミシュランの企業戦略がメインかなと思いきや、ミシュランの話だけでなく、フランス政府の話や世界の料理人のトレンドなど幅広く色々なことに触れられていました。

驚いたのはフランスがどれだけ食を大切にしているかということ。
フランスが国賓を呼ぶときに行われる晩餐会は、その出す料理、お酒をきちんと大統領がチェックするそうです。そして、晩餐会などのメニューは記録として残されているそうで、見る人が見れば、そのお酒のランクなどで、フランスにとってその人がどれだけ大切に扱われているかが分かるそうです。
その観点でみると、日本からの国賓は軽く見られている傾向があるらしいです。日本の政府首脳たちがその教養が足りないこともあるのかもしれません。でも、この話はすごく残念だなと思いました。
「食の外交」ってフレーズは聞いたことがありましたが、まさかそこまで本当に外交に関わるものだとは思いませんでした。

昭和天皇の時代に日本に訪れたミッテランが日本でのもてなしに感動し、フランス大使館に昭和天皇を招いたというエピソードから、日本の皇室に対して敬意を払っていたフランスが、平成天皇がフランスを訪れた際に、フランスの食の外交史に3度しか登場しない、超高級なシャンパンが振る舞われたという話はぐっと来るものがありました。
やっぱり人にしてあげられることをしっかりとするのは大切なことなんだなと思いました。

ミシュランガイドに話を移しますが、ミシュランガイドは、ミシュラン兄弟が「これからは車の時代になる。車をたくさん利用してもらいたい」という願いから、今でいうCSR的なものとして無料で、パリ発で行けるお店の紹介やホテルの紹介をしたのが始まりです。
とはいうものの、最初のころはそこまでお店の情報は載っておらず、車のメンテナンスなどの情報がのっていたようです。
無料だったのが有料化されたのは、ある時ミシュランが訪れた車の修理工場で、ミシュランガイドがそこにあった台の高さの調整に使われていたのを見て、やはり人はお金を払わないと大切に取り扱わないと思ったことがきっかけらしいです。

元来、
三つ星は「そこの店に“食べに行くだけ”の価値がある」
二つ星は「そこの店に遠回りしてでも行く価値がある」
ということらしいです。
その中には、料理の味だけでなく、店のサービスも判断基準となっていて、それもサービスの良し悪しだけでなくサーブする人がどういうランクの人が何人いるなど明確な基準が決められているそうです。

これは2000年くらいまでこの基準が適用されてました。
ただ、世界における料理人の地位、ミシュランガイドのビジネス的な側面での行き詰まりなどから、少しずつこの厳格な規定から変化をしていきます。

まずその背景の話です。
1973年にボキューズが斬新なフランス料理を作り、それがヌーヴェル・キュイジーヌ(フランス語で「新しい料理」)と持て囃されました。
それまでは、ミシュランの星が付くレストランはホテルのレストランだったのが、オーナーシェフのいるレストランがどんどんと星を取り、またスターシェフが多く誕生し始めたのもこの頃だそうです。
そして、そういうシェフたちが海外へ出て、料理フェアをする、海外に店舗を持つ、それをフランス政府も政治に利用して、フランス料理外交を活発化させていきます。
また逆に日本をはじめ、世界各国からそのフランス料理のシェフに憧れ、弟子入りのために門戸をたたいて、フランス料理の全盛期となりました。

それから数十年、今はどうなっているかといえば、世界的なスターシェフの多くはスペインに集中していて、かつてのフランス料理のシェフのステータスは失われています。
料理人たちも昔はブランド志向で、星の付く店への修業を希望していましたが、今では誰につくかということが非常に重要視される時代となって、ミシュランガイドの格付けの影響力も衰えてきました。

これらは、もちろんミシュランガイドにも大きな影響を与えます。
そして2000年以降ミシュランガイドの錯綜が進んできます。
まず、ミシュランガイドの星が、店の味だけでも付くようになりました。
かつての三つ星が示す「そこの店に“食べに行くだけ”の価値がある」から、「そのテーブルに着くために行くだけの価値がある」

もともとはパリ発で行ける場所が扱われていたミシュランガイドもアメリカ版や日本版ができるようになりました。そして、アメリカでの初めての発売の時に写真が載り始めます。
それまで写真が載らなかったのは、おそらく人の目を通したほうが真実が伝わるというミシュランガイドの意志があったと思われるとのことでしたが、その意志も揺らいでいるようです。
かつてはその格付けの理由を語らなかったミシュランガイドがコメントを付けるようになったことも変化の一つだそうです。
このコメントですが、それを書くのは格付けの調査員ではない別のライターのようで、どうもコメントの定評はいまいちのようです。

余談ですが、このフランス料理スターシェフがなかなか出ないという料理界の動きに対しては、フランス政府も非常に危機感を覚えたようで、それがフランス料理を世界遺産へ登録するという動きになったようです。
今でも、食がフランスにとっては非常に重要なものなんだなと思いました。

ミシュランガイドのジレンマはビジネスとして、毎年売れるものにするために拡大をしていかなければならないことです。そのために、展開地域を広げ、すでにある地域のものも毎年新たに店を増やしていかなければいけません。
それは一方で、調査員が多く必要になるということで、調査員の質の維持を難しくさせるということです。また、毎年本を買ってもらうためには、多少クオリティを下げることになっても新しい店を増やしていかざるを得ないのです。

この特別講義を聞いて思ったのは、ジレンマに陥ったミシュランガイドは、この先その存在価値がだんだんと落ちていくのではないかということです。
このジレンマの中で、これからどういう戦略を取っていくのか、興味を持って見守っていきたいです。

今回の特別講義で、食についてのとらえ方がだいぶ変わった気がします。
おいしいとか、おいしくないとかそんな風にしか見てなかった料理についての奥深さを知って、食に対しての教養も豊かな人生にはすごく大切なんだろうなと思いました。
お酒と料理についてちょっと勉強したいなというのが今の気持ちです。


| 20:26 | comments(0) | Life |

2011.03.31.Thu 学生時代の活動3〜日中学生会議

 第3弾は日中学生会議かなと思います。

日中学生会議は日本と中国の大学生が学術や文化交流を通して両国を理解し、よりよい日中関係を若者の手で作っていこうと活動している団体です。
私が関わったのは、北京オリンピック前年と北京オリンピックの年でした。

私の家で、昔中国人留学生を預かっていて、その人たちがお兄さんお姉さんみたいに面倒を見てくれたりして、中国は身近な国でした。
一方で、2005年の反日運動などをテレビを通してみる中国は、その人たちと結びつかなくて、しかも中国がどういう意図をもって、また国内にどんな問題を抱えた結果がそういう運動や政治の発言につながるのか理解できない私がいました。

身近と思っていた国を実は何も知らなかったこと、そして、これから中国が国際社会においてより存在感を示すことは間違いないし、自分自身仕事などを通して中国と関わる機会も増えるかもしれないということを思って、もうちょっと中国のことを勉強しようと思った時に出会ったのが日中学生会議でした。

1年目は中国開催を経験しました。
初めて行った中国、北京は翌年に北京オリンピックを控え、活気がありました。日本の行動経済成長もきっとこんなだったんだろうなと思いました。一方広州は、同じ中国にも関わらず、そこまで北京オリンピックを待ち望んで一丸となってという雰囲気は感じられませんでした。
食事もいわゆる中国っぽいものは北京で、広州は日本人にもなじみやすい料理が多い印象でした。
交流した学生も北京は政治の議論が好きな人がいたりもしたのですが、広州はそこまで興味がなさそうだったりして、これには驚きました。
中国と一口に行っても色々なんだなということに気づき、中国の広さを改めて感じました。

北京と広州に1週間ずついて、行動は分科会単位だったので、同じ分科会の子とはいつも一緒で、色々な話をしました。日本語学科の学生は日本語がすごく上手で日本語でコミュニケーションをとる機会も多かったです。中国語しか話せない子とは、片言の英語で。
普通の話をしてるとやっぱり国は違えど、同世代で同じようなことに興味持って生きてるんだなと思うことも多々ありました。
帰りにはハグして別れの言葉を交わして、もしかしたら会うのは最後かもしれない人もいると思うと、中国に名残惜しさが残るばかりでした。

中国側のメンバーが一生懸命準備してくれて、本当に楽しかった2週間を逆に、翌年は日本で私たちがやろうと思い、準備を進めたのが翌年の日中学生会議でした。
前年は開催直前の加入だったので、あまり準備に関われなかったのですが、こっちは、最初から関わりました。

担当していたのは、広報でした。
とはいうものの、これは責任者という立場であっただけで、実働は別の子ががんばってくれて、最初から関わっていたって部分もあるのですが私自身は、実行委員のモチベーションであったり、周りとの折衝がメインだったような気がします。
それと、ちょうど2008年の5月に四川での地震があった関係で、そのチャリティーコンサートも日中学生会議として行って、それにはメインで関わってました。

本会議は、たくさんの再会がありました。
前年にそんなに話した記憶がない子も、私のことを覚えてくれてたりして、再会はちょっと感動的でした。
本会議も、分科会活動だけでなく、歴史認識のディスカッションをしたり新しい要素も入れて自分達らしい会議ができたと思っています。

今でも、日中学生会議の中国の友達とは、時々連絡を取っていて、今回の東北での地震も心配してメールしてきてくれたり、本当にいい友達ができたなと思っています。

そんな日中学生会議は今年の夏で、記念すべき第30回会議を迎えます。
現役の実行委員の子たちもすごく頑張ってて、私のやってた時期よりだいぶ進化しています。
今年の開催、見に行けたらいいなと思ってるところです。

ニュースで流れる日中関係は、だいたいがあまりいいニュースではないですが、決して中国イコール中国の国民全体ではないと思います。でも、これもあくまで私の感想で、もしかすると別の人が見たら別に見えるのかもしれません。
ただ、自分の目で見ずに語るのはフェアじゃないし、それが偏っていたらずっと平行線の状態だと思います。
だから、できれば中国をぜひ自分の目で見てほしいと思います。
まだ学生であれば、その一ツールに日中学生会議があるんじゃないかと思います。

最後に、ちょっとだけ宣伝です。
今、日中学生会議は今年夏開催の第30回日中学生会議の参加者を募集しています。
ご興味ある方は、ぜひ応募してみてください。
詳しくは、日中学生会議のサイトをご覧ください。


| 21:49 | comments(0) | Life |

2011.03.29.Tue 学生時代の活動2〜JAM

 学生時代の活動として主だったものをまとめた第2弾です。

アカペライベントJAMについて。
正式名称は Japan Accapella Movementという、日本最大級のアカペラストリートイベントです。
ちなみに、立ち上げの中心となったのは、今はRAG FAIRで活躍するおっくんだったりするらしいです(その当時は私も知らないので)。

JAM2005のスタッフとして約1年活動しました。
担当したのは会場セクションで、会場探しで、色々な会場に企画書を持って行ったり、会場が決まればそこでの利用時間やこちらの考える演出をどこまで実現できるか会場との交渉をしたりが主な業務でした。

それ以外には、みんなで協賛企業に協賛をいただくお礼に、協賛企業のイベントのお手伝いをしたり、実際のイベントは10組程度しか出られないので、応募してきたものをスタッフみんなで審査したり、イベントの企画をみんなで詰めて行ったりをしました。

きっかけは、アカペラが好きだったから。
今でも大好きなグループがいるのですが、彼らの歌声でアカペラの魅力を知って、生で聴くのが一番いいし、そういう場が好きだったから、自分もそれを作りたいと思ったという経緯です。
大学に入る前から知ってたイベントで、いつか関わりたいなと思っていて、ちょうど最初から関われるタイミングに入ることができて、コンセプトから最終的なイベントを作り上げるまでに関われたのは非常にいい経験でした。

この時から、イベントを作るって楽しいなということに気づきました。
色々な価値観を持つ人(大学も専攻も違う人たち)と一緒に何かを作り上げることがすごく面白かったし、その価値観のずれがすごく新鮮でした。

ここから、イベント屋の自分が目覚めたり、学外にもっと積極的に関わって行こうと思ったきっかけをもらったりしたように思います。

最近は、あまりこの団体とも関わってないけど、久々にサイトを見たら、今回の震災での義援金集めもしているようでした。
世の中の音楽イベントという中ではあまり認知度はないかもしれないけれど、アカペラが少し分かる人たちには、関西の”KAJa!”か関東の”JAM”が大規模なイベントとして認知されてるので、やっぱりそれなりの責任を背負う団体としてはふさわしい行動なんじゃないかなと思っています。
そして、着々と成長しているんだなとも思いました。

あの頃は、歌う側には立つ気もなかったけど、JAMという舞台に立てるクオリティはないにしても、自分で楽しめる音楽をこれから始めてみるのもいいかもなって思ったりしてます。


| 18:15 | comments(0) | Life |

2011.03.24.Thu 学生時代の活動1〜科学ジャーナリスト塾

 私が学生時代に力を入れたことを春休みのうちにまとめておきたいと思いました。

ひとつは、自分の備忘録の意味で、こうやって楽しいことに向かってた自分をたまに読み返して、もうちょっとがんばろーとか思えるようにしておきたいと思ったためです。
そして、もうひとつは、しがない平凡な学生生活だけど、もしかすると何かを面白いと感じてくれるとか、それがきっかけで誰かが面白いことを始めるインスピレーションの一助になればという想いをこめてまとめようと思ったからです。

最初に紹介するのは、科学ジャーナリスト塾
今は大学と一緒になって、コース分けもされたりしてだいぶ大きくなってきたようですが、私はその立ち上げの際に受講生になった1期生です。

科学雑誌、新聞の科学記事、科学番組が好きだった私にとって、昨今の”理科離れ”は信じられなかったし、そういう状況が悲しくもありました。
高校時代は実は理系にいたのですが、それもそういう純粋な好きという気持ちからだったように思います。大学受験で文転して、それでも理系と文系をつなげることってできないのかなという想いがあって、その時ちょうど大学の先生に進めてもらったのが、この科学ジャーナリスト塾でした。
余談ですが、その先生に付きたいと思って選んだ大学だったので、その先生とどうしたらお近づきになれるかという思いも、少しはあったように思います。

科学ジャーナリスト塾は新鮮でした。
女子大という特殊な環境下にいた私は、同世代の女子としか交流がなかったのですが、科学ジャーナリスト塾は年齢は様々で、実際に科学ジャーナリストの端くれという人や大学院生など、そこそこスペシャリストの域にいる人たちばかりで最初は圧倒されるばかりでした。
私は、大学1年で別に何かの専門を持っているわけでもありませんでしたから。
実際に科学記事を自分で書いてみるなどは、専門性がない分を足で稼いでがんばったりしました。その点を評価されたりもしました。

ここで、私の人生が大きく変わる(学生生活が長くなってしまった)きっかけにも出会います。
科学ジャーナリスト塾は、当時は座学が中心で、それに時々演習が入る形でしたが、そこの座学の回に、”知的財産”の話をされた講師の方がいらっしゃいました。
私は当時その言葉すら良く分かってなかったのですが、話を聞いて興味を強く持ったし、まだまだそこまでこのテーマで取り組む人がいない(科学ジャーナリズムという観点だけでなく)なら、私のような若い人間でももしかしたら、スペシャリストとして評価されうる分野かもしれないという想いもありました。

結果的には、科学ジャーナリストを仕事として選ぶことはしませんでしたが、ここでの経験は私に大きな影響を与えていると思います。今、大学院のMOTにいるという状況を考えると、科学ジャーナリスト塾は私の人生のターニングポイントのひとつという気がします。


| 16:22 | comments(0) | Life |

2011.03.03.Thu カネカのマーケティングプランコンテストで特別賞を受賞しました!

 先月2月11日に行われたカネカの”還元型コエンザイムQ10 マーケティングプランコンテスト”で特別賞を受賞しました。

国内の経営修士や専門職修士を対象にしたコンテストで、私の大学院では社会人学生3人と一緒に出ました。

全国からの応募は55チーム、1月にあった書類審査で10チームに絞られました。
MOTからは我が大学のみで、その他は経営管理、MBAといったチームでした。
MOTがこの情報をキャッチアップできてなかったのか、マーケティングとなるとMBA系がどうしても強くなるのか、理由は分かりませんが。

私たちのチームは12月頭くらいから徐々にプランを練り始め、最初はデータを集めて分析、そしてプランを実際に練って行く作業をしていったのですが、なかなか整合性がとれなかったり、イマイチインパクトのないものだったり、本当に提出できる形になるのかと不安になったりもしました。

特に、年末年始はあまりみんなで話を進められないし、提出が1月の上旬で提出ギリギリまで色々と調整してなんとか提出をしました。
やるだけやったとはおもったものの、どれくらいの評価になるのかは分からなかったので、予選通過の連絡は本当にうれしかったです。
それからプレゼン用にスライドをブラッシュアップして、これもどう編集していくのか試行錯誤があったし、その後のプレゼンに向けた原稿作りをして、カラオケで発表練習も、プレゼン下手な分、苦労も多かったです。

そして、プレゼンの本番は2月11日、慶應の藤原記念ホールという大舞台での発表でした。
内容を練る前から、なぜか”若い”と”女性”の2点だけで発表は私ということになっていて、数百人くらいの前でプレゼンをしました。

ある瞬間から吹っ切れるものの、大舞台ってやっぱり最初はドキドキで、おまけに人前で話すこと自体がすごく久々で、最初は失敗の連続。レーザーポインターに手が当たって、スライドを先に送ってしまったり。
途中からは少し落ち着いてきて、スムーズではなかったけど、それでも伝えたいことを伝えきったとは思えました。

そして、結果は最優秀賞、優秀賞に続く特別賞を受賞できました。
グループワークは学ぶことも多かったし、社会人の方々にも学部上がりの私の話をちゃんと聞いてもらえたし、ダメな部分は指摘ももらえたし、本当に勉強になりました。

その後の懇親会で、審査員ではなかった人ですが、関係者の方に「個人的には一番良かった」と言ってもらえたのもうれしかったです。それがMOTらしい部分としてしっかり出したいねと話していた部分でもあったので。

KINGでは最初に出た年に3位をもらって以来、予選落ちが続いていましたが、卒業前にこうやって賞をもらうことができて本当に良かったです。
また、実は最初は発表の機会を与えてもらえたことが畏れ多くて、乗り気じゃなかった部分もあったのですが、最後まで頑張って良かったなと思っています。


| 21:52 | comments(0) | Life |

2011.03.02.Wed 箱根へ行ってきました。

 KING2009のチームメイトたちと、26-27日箱根旅行に行ってきました。

きっかけは、私が「KINGのチームメイトと旅行に行くのが夢」とチームメイトの女の子に言ったことでした。
前にKINGに出た時、他のチームの子がチームで旅行に行ったという話を聞いて、私もすごくやってみたいと思っていました。

特に、KING2009ではあんまり自分たちのことを話すことなく、ケース課題に取り組んでいて、打ち上げの後の事後宿泊では、どんどんダウンしていって結局あまり話を聞けずじまいで終わってしまいました。
しかも、それからほとんど会う機会もなく、ここまで来ました。

久々に会うってどんな感じなんだろ…って思ってたけど、やっぱり空いた時間ってそんなに関係ないのかもって思うくらいはじめから面白かったです。
とはいっても全然変わってない訳じゃなくて、みんなしっかりパワーアップしていて、話してて前以上に経験の積み重ねがその人の言葉に厚みを持たせてるなって感じることが多かったです。
伸びしろ私なんかより全然あるのはしょうがないけど、それでも負けられないなとか、正直思いました。

1日目
箱根湯本に集合→強羅→大涌谷でカレー&黒たまご・黒たまご・黒たまご…食べ過ぎ→桃源台から芦ノ湖で海賊船→箱根神社でお参り&おみくじ引き→箱根湯本で山かけそば→お菓子とお酒を買いこんで旅館へ

大涌谷カレーに既に黒たまごが付いていたのに、その後も黒卵を食べる食べる…。卵を買える権利のジャンケンがたぶん悪かったんだと思います。
KING2009は海賊がテーマということで、私たちも海賊船に乗りました!!でも、それに気付いたのは下船寸前だったり(笑)
箱根湯本に出たら食べられる場所あるだろうと思っていたのに、結構店が閉まるの早くて思ったより店が少なくて、歩きまわってようやく名物の自然薯がかかったそばを夕食に。
そしてお酒を買いこんで旅館へ。

泊まった旅館の部屋が2年前の戦略策定室みたいだったのが、中でも一番印象深かった時間だと思います。
KING終わって何をして今に至るのかって話、それぞれの積み重ねた時間を感じて、またこうやってバラバラに進んできた道が一瞬交わって、それが感動的な感じすらしました。
いい時間になってきてからの恋愛話とかも、みんなを身近に感じれたなと個人的には思ってます。
次は幸せな、羨ましい恋愛エピソードがたくさん出てくることを期待してるけど、これもまた青春(笑)

2日目
渡邊ベーカリーの温泉シチューパンで朝食→彫刻の森美術館→小田原にて解散
(一部、昼食兼夕食に中華街→中華街から桜木町までぶらぶら歩き→スタバ→解散)

温泉シチューパンはすごくおいしかったです。人にもオススメしたい味でした。
彫刻の森美術館では、鯉に餌までやったりして長居をしました。
おかげで昼をみんなで食べられなかったというオチも。
でも、楽しい2日間でした。

これを企画してくれたまおちゃんに感謝感謝です。
また、来年もこうやってみんなで集まりたいなーと本当に思いました。
そして、その時はもっとパワーアップした自分であるようにしていたいとも思いました。


| 00:11 | comments(0) | Life |


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